出雲大社は何の神様?

出雲大社は、縁結びの神様がまつられていると聞きますが、何という神様なのでしょうか?

また、一時的に まつられている神様が入れ替わったこともあるようです!

出雲大社は何の神様が祀られているの?

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元々は、御祭神は オオクニヌシ

出雲大社の御祭神(ごさいじん)は、古事記や日本書紀にも書かれているように、創建当初の神話の時代には「大国主大神(オオクニヌシノオオカミ)」でした。

しかし、鎌倉時代頃に御祭神が「素戔嗚尊/須佐之男命(すさのおのみこと)」に変更されています。

神仏習合により、御祭神は スサノウに

その背景には、当時の神仏習合(しんぶつしゅうごう) または神仏混淆(こんこう)の影響によるものです。

神仏習合(神仏混淆)とは、神と仏とを調和させ 同一視する思想で、神道と仏教の同化を示すものです。

出雲地方を管理し、出雲大社の別当寺(神宮寺)となった鰐淵寺(がくえんじ)が、素戔嗚尊(すさのおのみこと)こそが本当の出雲の主であると主張し、その仏教勢力により御祭神を素戔嗚尊に変更してしまいました。

神仏習合と言っても、神社よりも寺院の方が力が強い事も多く、また学問といえば僧侶が中心だったので、天台宗の鰐淵寺の方が力を持っていたようです。

その後、しばらくの間、出雲大社の御祭神は素戔嗚尊となり、境内には堂舎や仏塔が建ち並びました。

そのために、出雲大社の境内には なんと三重塔まであったそうです。

寛文の大造営で、オオクニヌシに戻る

神道と仏教の同化が進んだ出雲大社では、境内に堂舎や仏塔が建ち並ぶことで、神事が衰退していました。

そこで、江戸時代初期の寛文年間(1661年から1672年)に行われた遷宮の際に、当時の出雲国造家が神仏分離と廃仏毀釈を提唱し、さらに「創建当初の神である大国主大神に戻して欲しい」と幕府に嘆願し、寺社奉行の承認を得ました。

これにより、寛文4年から5年にかけて仏堂や仏塔は移築・撤去され、経蔵も破壊され、現在の出雲大社の姿が形作られました。

同時に、御祭神についても古事記や日本書紀の記述に基づき、素戔嗚尊から大国主大神へとに戻すことができました。

この遷宮は「寛文の大造営」と呼ばれ、出雲大社にとって非常に重要な出来事であり、後世に語り継がれるほどの大事であったのです。

 

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スサノウとオオクニヌシの関係は?

スサノオの子孫が、オオクニヌシになります。

スサノウ(素戔嗚尊)

スサノウは、最高神であるアマテラスの弟にあたります。

父イザナキが鼻を洗った時に生まれた神です。

暴風の神として、厄払いの神様としても信仰されている。

アマテラスのいる高天原(たかまのはら)で大変な乱暴を働き、世界を大混乱に陥れる困り者であった。

そのため天上界から追放されるが、ヤマタノオロチ退治に成功するなど正義感が強く知恵者としての一面も持っている。

また、こうした英雄的側面を以て、武の神として崇められることもある。

オオクニヌシ(大国主大神)

出雲に大国をつくった国づくりの神です。

スサノオの子孫で、スサノオが与えた数々の試練を見事に切り抜け、葦原中国(あしはらのなかつくに)・・・日本国の別名 の支配者になった。

また各地に恋愛伝説があり、多くのご縁に恵まれたことから良縁祈願の神様としても信仰されている。