出雲大社は、1871年(明治4)まで「杵築大社(きづきたいしゃ)」と呼ばれていた!

出雲大社(いずもたいしゃ)は、1871年(明治4)まで「杵築大社(きづきたいしゃ)」と呼ばれていました。

なぜ「杵築大社(きづきたいしゃ)」が、「出雲大社(いずもたいしゃ)」と改名されたのでしょうか?

杵築大社から出雲大社に改名された理由

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杵築大社の由来

出雲大社は古くから、所在地である島根県出雲市杵築(きづき)東の「杵築(きずき)) に由来して、杵築大社(きづきたいしゃ)と呼ばれていました。

さらに『出雲国風土記』には、大勢の神々が集まって大国主大神のために宮(出雲大社)を寸付(きづ)いたので、「杵築(きずき)大社」と呼ばれるようになったと記されております。

では、なぜその杵築大社が 1871年(明治4)に出雲大社に改名されたのでしょうか?

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出雲大社に改名された理由

出雲大社には、たくさんの別名があり、明治時代になって 一つの名前に統一したというのが一般的な理由であります。
しかし、複数の別名があっても、それまで一番多く呼ばれていた「杵築大社」に統一しなかったのはなぜでしょうか?
これには諸説ありますが、一番納得できるのが以下の説明になります。
明治政府は、国家の宗教を神道に据え 皇室(天皇家)の権威を高める政策を行いました。
その時に、現 出雲大社を「杵築大社」に統一するには都合の悪いことがあったようです。
というのも「杵築大社」の【杵】の字に問題があったのです。
聖徳太子の17条憲法の第一条にある「忤ふこと無きを宗と爲す」の「忤ふ」は逆らう(さからう)と読む。
そして「忤ふ」は杵(きね)の原字なんです。
つまり、【杵】は 反逆という意味の「さからう」ということを隠し持っているからである。

明治時代になって 国家神道を推進していく中で、出雲地方の杵築大社という名前の「杵」という文字には、実は「さからう」という意味が隠されているため、明治政府にとって都合が悪かったのかもしれません。

出雲大社の別名

出雲大社には、古くからいくつかの別名がありました。
その中でも代表的なものをいくつか紹介すると・・・。

  1. 杵築大社(きづきたいしゃ)
    これは、出雲大社の最も古い名称の一つであり、地名である「杵築の郷」に由来しています。
    古くからこの名前で知られていました。
  2. 出雲大社(いずものおおやしろ)
    これは、現在の「出雲大社」という名称が定まる以前から、広く使われていた名称です。
    「大社」という呼び方自体が、出雲大社を指す言葉として使われていたため、この名称も広く認識されていました。
  3. 杵築神社(きづきじんじゃ)
    地名「杵築」に基づく別名であり、出雲大社が杵築の郷にあることを示す名称です。
  4. 大神宮(おおみわのみや)
    神社の格を示すために使用された名称で、「大神宮」と呼ばれる神社は他にもありますが、出雲大社も一時期この名称で呼ばれていました。
  5. 大社(おおやしろ)
    これは、単に「大社」とだけ呼ばれることもありました。
    「大社」という言葉自体が、出雲大社を指す代名詞的な意味合いを持っていたためです。