
この記事の著者:門田 壮太(かどた そうた)
比較神話学研究家 / 古代建築愛好家
エジプト、メソポタミア、日本の古代遺跡を現地調査し、共通するシンボリズムを解読する著書多数。「知の探求を共にする先輩」として、事実と論理を積み重ねた上で、それでも残る「謎」を楽しむ。
「出雲大社とピラミッドには共通点がある」
そんな都市伝説を耳にして、あなたも「まさか」と笑いつつ、心のどこかでワクワクしていませんか?
遠く離れた日本とエジプト。
時代も文化も違う二つの聖地に、もし本当に繋がりがあるとしたら……
それは歴史の教科書を書き換えるほどの大発見かもしれません。
その直感は、あながち間違いではありません。
実は、建築構造と信仰の深層において、この二つは驚くほど似通っているのです。
私はエジプトのギザでクフ王のピラミッドを見上げた時、ふと出雲の巨大神殿の復元図を思い出して鳥肌が立ちました。
本記事では、安易なトンデモ説ではなく、建築学と神話学の視点から、古代人が天に託した「共通の願い」を紐解きます。
来月の出雲旅が、10倍深く面白いものになるはずです。
高さ48mの衝撃。古代出雲大社は「木造のピラミッド」だったのか?
まず、建築構造の視点から二つの聖地を比較してみましょう。
現在の出雲大社本殿も高さ約24mと巨大ですが、平安時代の記録によれば、かつての本殿はその倍、約48m(15階建てビル相当)もの高さがあったとされています。
当時の木造建築としては世界最高レベルの高さです。
なぜ、これほど高くする必要があったのでしょうか?
スポンサーリンク
「天への階段」としての機能
特筆すべきは、本殿へと続く長さ109mにも及ぶ巨大な階段(引橋)の存在です。
この異常なまでに長い階段は、単に高い場所に登るための通路ではありません。
それは、地上の王(あるいは神)が、天上の神の世界へと昇っていくための「装置」として設計されたと考えられます。
一方、エジプトのピラミッドもまた、単なる王の墓ではありません。
ピラミッド・テキスト(内部に刻まれた碑文)には、「王は天へ昇るための階段として、これを築いた」という趣旨の記述があります。
ピラミッドの形状そのものが、天から降り注ぐ太陽光線を模した「光の階段」であり、王の魂が太陽神ラーのもとへ還るための昇天装置だったのです。

つまり、古代出雲大社本殿とピラミッドは、素材こそ木と石で異なりますが、「天へのアクセスを物理的に実現しようとした巨大装置」という点において、全く同じ思想で作られているのです。
【現地検証】境内の「宇豆柱」が語る、国家プロジェクトの真実
「でも、48mなんて本当に建てられたの?」
そんな疑問を持つあなたに、ぜひ現地で見てほしい証拠があります。
出雲大社の境内、拝殿の少し手前に「宇豆柱(うづばしら)」の展示があります。
これは2000年に境内から発掘された、鎌倉時代の本殿を支えていた柱の一部です。
直径3mの巨木が支えた世界
実物を見て、そのスケールに圧倒されてください。
直径約1.3mの杉の大木を3本束ねて、一つの巨大な柱(直径約3m)にしています。
これが何本も立ち並び、48mもの高層神殿を支えていたのです。
これほどの巨木を切り出し、運び、組み上げるには、莫大な労働力と高度な技術が必要です。
エジプトのピラミッド建設が、ナイル川の氾濫期に農民を動員した国家プロジェクトであったように、古代出雲の巨大神殿建設もまた、国中の技術と資源を結集した一大プロジェクトだったことは間違いありません。
宇豆柱の前に立った時、あなたは単なる木材ではなく、古代の人々が天にかけた情熱の塊を目撃することになるでしょう。
出雲大社は平安時代に高さ48mあったのか?2000年発掘の「宇豆柱」と古文書の設計図が一致。巨大神殿の構造と倒壊理由を解…
スポンサーリンク
「蛇」が繋ぐ死生観。注連縄とファラオの守護神
次に、信仰の視点から共通点を探ってみましょう。
キーワードは「蛇」です。
注連縄に隠された蛇の姿
出雲大社のシンボルといえば、神楽殿の巨大な大注連縄(おおしめなわ)です。
実はこの注連縄、交尾する2匹の蛇を表しているという説をご存知でしょうか?
ねじり合わされた縄の形状は、絡み合う蛇そのものです。
出雲地方では古くから「龍蛇神(りゅうじゃしん)」信仰が盛んで、神在月には海からやってくるウミヘビを神の使いとして迎える神事もあります。
ファラオを守る聖なる蛇
一方、古代エジプトでも蛇は特別な存在でした。
ツタンカーメンの黄金のマスクを見てください。額の部分に、鎌首をもたげたコブラが飾られています。
これは「ウラエウス(聖蛇)」と呼ばれ、王権の守護神であり、敵を焼き尽くす火を吐くと信じられていました。

なぜ「蛇」なのか?
なぜ、遠く離れた二つの文明が、共に蛇を神聖視したのでしょうか?
それは、蛇が「脱皮」をする生き物だからです。
古くなった皮を脱ぎ捨てて生まれ変わる蛇は、古代人にとって「死と再生」、そして「永遠の命」の象徴でした。
王(神)が死を超えて再生し、永遠の存在となることを願う。
その祈りの形として、出雲では注連縄が、エジプトではウラエウスが選ばれたのです。
太陽が沈む聖地。日御碕神社とエジプトの「西」
出雲大社を訪れるなら、ぜひ足を延ばしてほしい場所があります。
車で20分ほどの距離にある「日御碕神社(ひのみさきじんじゃ)」です。
ここは「日沈宮(ひしずみのみや)」とも呼ばれ、伊勢神宮が「日の昇る宮」として昼を守るのに対し、「日の沈む宮」として夜を守るとされています。
古代エジプトにおいて、太陽が沈む「西」は、死者の国(ネクロポリス)の方角でした。
ピラミッドもナイル川の西岸に作られています。
出雲もまた、大和朝廷から見て「日が沈む地」であり、黄泉の国への入り口とされてきました。
「太陽信仰」と「死と再生」の舞台としての西の地。
この地理的な符合もまた、出雲とエジプトを結ぶミッシングリンクの一つと言えるでしょう。
日御碕神社の朱色の社殿に沈む夕日を見た時、あなたはエジプトの砂漠に沈む太陽と同じ、悠久の時を感じるはずです。
よくある質問(FAQ)
最後に、この壮大なミステリーに対してよくある疑問にお答えしましょう。
Q: 古代エジプト人が日本に来たのですか?
A: 直接的な証拠はありませんが、文化の伝播は否定できません。
古代エジプト人が船で日本に来たという直接的な証拠は見つかっていません。しかし、シルクロードを通じて、蛇信仰や太陽信仰、そして「高層建築で天を目指す」という思想が、長い時間をかけてユーラシア大陸を横断し、日本に伝わった可能性は十分に考えられます。
Q: 出雲大社の中にミイラはありますか?
A: いいえ、ありません。ここが決定的な違いです。
ピラミッドは王の遺体(ミイラ)を保存する場所でもありましたが、日本の神道は「死=穢れ」として避ける傾向があります。そのため、出雲大社の本殿に遺体が安置されることはありません。
共通点は多いですが、それぞれの風土に合わせて独自の発展を遂げた宗教であることも、また事実です。
時空を超えた「祈りの形」
巨大な階段、蛇、太陽。
出雲とエジプトの共通点は、単なる偶然で片付けるにはあまりにも多すぎます。
しかし、それが「古代エジプト人が日本に来た証拠だ」と結論づける必要はありません。
重要なのは、洋の東西を問わず、古代の人々が「死」を乗り越え、「天」に近づこうとした時、同じような祈りの形(巨大建築や蛇のシンボル)に辿り着いたという事実です。
現地で宇豆柱を見上げ、注連縄の下をくぐる時、あなたの目にはもう、ただの木や縄以上のものが映っているはずです。
それは、数千年の時を超えて受け継がれてきた、人類共通の「祈りの記憶」です。
次の出雲旅では、ぜひ古代エジプトの砂漠にも思いを馳せながら、参道を歩いてみてください。
きっと、今までとは違う風の音が聞こえてくるはずです。
参考文献・出典
- 出雲大社公式サイト
- 季刊大林「出雲大社」 – 大林組
- 吉村作治『エジプト考古学への招待』