出雲大社が「千家家」と「北島家」に分かれた理由とは?|神社の歴史とルーツを紐解く

日本神話と深く結びつき、「縁結びの神様」として全国的に知られる出雲大社。

その信仰の中心には、大国主大神(おおくにぬしのおおかみ)を祀る出雲国造(いずものくにのみやつこ)という家系があります。

しかし、この国造家は現在、2つの流れに分かれています。それが、「千家家(せんげけ)」と「北島家(きたじまけ)」です。

この記事では、なぜ1つだった国造家が2つに分かれたのか、その歴史的背景や、それぞれのルーツ、役割の違いについて詳しく解説します。

出雲大社の祭祀を担う「出雲国造家」とは?

出雲大社では、古代より出雲国造と呼ばれる家系が、代々神職を務め、神事を司ってきました。

この「国造」とは、律令制以前の日本で地方を治めていた豪族に与えられた称号であり、出雲国造は特に神事の面で重要な地位を担ってきました。

スポンサーリンク

なぜ「千家家」と「北島家」に分かれたのか?

出雲国造家が2つに分かれたのは室町時代中期(15世紀)のこととされます。

当時、宗教的・政治的な対立や後継者問題などが絡み、最終的に千家家北島家という2系統に分かれて現在に至ります。

その後、千家家は出雲大社教(いずもおおやしろきょう)、北島家は出雲教(いずもきょう)を設立し、両者は信仰の対象(大国主大神)や信仰の根源(出雲大社)は同じであるものの、異なる組織として出雲信仰の継承を担っています。

「千家家」とは?|神楽殿を拠点とする祭祀の中心

千家家は、出雲大社教を運営する家系で、出雲大社の神楽殿を拠点としています。

神楽殿20230715

◆ 地名「千家」の由来

「千家」という地名は、出雲市斐川町併川(あいわか)にある地域名が由来。
周辺には、神在月に八百万の神々が最後に立ち寄るとされる万九千神社もあります。

スポンサーリンク

◆ 挙式・行事も実施

千家家が運営する出雲大社教結婚式場では、神楽殿や「おくにがえり会館」で神前挙式が行われ、全国から多くの参拝者やカップルが訪れます。

「北島家」とは?|静かな北島国造館を中心に信仰を支える

北島家は、出雲教を運営し、出雲大社の北に位置する北島国造館を拠点としています。

北島国造館20220227

◆ 地名「北島」の由来

北島の名は、出雲大社北側にある北山山系と、ふもとにあった巨大な菱根池(ひしねいけ)に由来。

古くは「北根島(きたねじま)」と呼ばれていました。

◆ 北島国造館の魅力

格式ある建物と静かな庭園が特徴で、出雲に縁のある方の間で神事や結婚式に人気の場所となっています。

北島国造館-竜虎の庭-20220821

千家家と北島家の違いまとめ

比較項目 千家家(出雲大社教) 北島家(出雲教)
拠点
本部
神楽殿・おくにがえり会館
出雲大社教教務本庁(出雲大社境内)
北島国造館
出雲大社北島国造館(出雲大社東隣)
挙式の特徴 神楽殿の大注連縄が印象的な人気挙式 静かで格式高い庭園での挙式
教団 出雲大社教(いずもおおやしろきょう)
千家尊福(せんげ たかとみ)が、
1882年(明治15年)創立
出雲教(いずもきょう)
北島脩孝(きたじま ながのり)が、
1882年(明治15年)創立
地名の由来 斐川町併川「千家」 北山山系と菱根池周辺
主な利用者 全国からの参拝者・観光客 出雲に縁ある地元民

出雲大社では、かなりリーズナブルに結婚式をあげることができますよ!

詳細を下記にまとめましたので、ご参考まで。
→ 出雲大社で結婚式を挙げるには?神前挙式の魅力と費用を徹底解説

まとめ|出雲の神々に守られた二つの国造家

出雲大社を支える千家家と北島家は、それぞれの信仰の形を守りながら、今日まで長い歴史を築いてきました。

どちらも大国主大神を祀り、縁結びと出雲信仰の核を担う存在です。その違いとルーツを知ることで、出雲大社への理解がより深まるはずです。

出雲の神々に見守られた二つの国造家の物語に、ぜひ触れてみてください。