出雲大社の歴史や北島国造館をもっと知りたい方は、こちらの記事もあわせて読むと理解が深まります。
「出雲大社には、千家家と北島家があると聞いたけれど、どういう関係なの?」
「なぜ2つの家に分かれたの?」
出雲大社の歴史を調べていると、千家家(せんげけ)と北島家(きたじまけ)という名前に出会うことがあります。
どちらも、出雲大社の祭祀を古くから担ってきた出雲国造家(いずもこくそうけ)に関わる大切な家系です。
この記事では、初心者の方にもわかりやすく、
- 出雲国造とは何か
- なぜ千家家と北島家に分かれたのか
- 千家家と北島家の違い
- 出雲大社教と出雲教の関係
- 北島国造館を参拝するときの見どころ
を、やさしく解説します。
まず結論|千家家と北島家は、出雲国造家が室町時代に2系統へ分かれたもの
- 出雲大社の祭祀を担ってきた家系を「出雲国造家」という
- 出雲国造家は、室町時代中期ごろに千家家と北島家の2系統に分かれたとされる
- 背景には、後継者問題や宗教的・政治的な事情があったと考えられている
- 明治以降、出雲大社の宮司は千家家が担う形になった
- 北島家は、現在も北島国造館・出雲教として出雲信仰を伝えている
出雲国造家が2つに分かれたのは室町時代中期(15世紀)のこととされます。
当時、宗教的・政治的な対立や後継者問題などが絡み、最終的に千家家と北島家という2系統に分かれて現在に至ります。
出雲国造とは?出雲大社の祭祀を担ってきた家系
まず知っておきたいのが、出雲国造(いずもこくそう)という存在です。
国造とは、古代に地方を治めた有力者に与えられた称号です。
出雲国造は、古代出雲の信仰や出雲大社の祭祀に深く関わってきた家系で、出雲大社の歴史を語るうえで欠かせない存在です。
出雲国造北島家は、大国主大神に神勤奉仕をした天穂日命の子孫にあたります。
なぜ千家家と北島家に分かれたの?
出雲国造家が千家家と北島家に分かれた理由については、単純にひとつの原因だけで説明できるものではありません。
一般的には、室町時代中期ごろ、後継者をめぐる問題や、当時の宗教的・政治的な事情が重なり、出雲国造家が2つの系統に分かれたと考えられています。
また、山陰の地域情報でも、56代の時に後継者問題があり、千家と北島に分かれて平等に職務を分担したと紹介されています。
千家家と北島家に分かれたあとも、両家は出雲大社の祭祀に関わってきました。
古い時代には、神事や社務を分担していたと伝えられています。
千家・北島に両立してから、出雲大社の神事は年中を6か月ずつに分けて平等に職務を分担していました。
つまり、分かれたからといって完全に別々の信仰になったというより、出雲大社の祭祀をめぐって、それぞれが役割を担ってきた歴史があるのです。
明治時代に何が変わった?
大きな転機となったのが、明治時代の神社制度の変化です。
明治5年、政府による神社制度の改正で「各神社の宮司は一人」とする方針が取られ、それ以降、出雲大社の宮司は千家家が務める形になったと紹介されています。
一方、北島家は出雲教を興し、北島国造館を拠点として、出雲信仰を伝える役割を担ってきました。
ここが、現在の「出雲大社」と「北島国造館・出雲教」の関係を理解するうえで大切なポイントです。
千家家とは?出雲大社教と深く関わる家系

千家家は、出雲大社の宮司を務める家系で、出雲大社の神楽殿を拠点としています。
また、出雲大社教とも関わりが深く、出雲大社を中心とした信仰を広く伝えてきました。
出雲大社を参拝するとき、多くの方が訪れる御本殿・拝殿・神楽殿などは、現在の出雲大社の中心的な参拝エリアです。
出雲大社の正式な参拝順路を知りたい方は、こちらも参考になります。
北島家とは?北島国造館・出雲教を担う家系

北島家は、出雲大社の東側にある北島国造館を拠点に、出雲教として信仰を伝えている家系です。
出雲大社に向かって右手、神城内で最古の建造物である四脚門をくぐると、出雲教 北島国造館があります。
北島国造館は、美しい庭園や滝、白いお守り「白守」でも知られています。
出雲大社の参拝とあわせて立ち寄ると、出雲信仰の奥行きを感じられる場所です。
出雲大社教と出雲教の違い
千家家と北島家の違いを理解するうえで、出雲大社教と出雲教という名前も整理しておきましょう。
| 系統 | 関係する宗教組織 | 主な拠点・特徴 |
|---|---|---|
| 千家家 | 出雲大社教 | 出雲大社を中心とした信仰 |
| 北島家 | 出雲教 | 北島国造館を総本院とする信仰 |
千家家は出雲大社教(いずもおおやしろきょう)、北島家は出雲教(いずもきょう)を設立し、両者は信仰の対象(大国主大神)や信仰の根源(出雲大社)は同じであるものの、異なる組織として出雲信仰の継承を担っています。
つまり、どちらかが正しく、どちらかが別物という話ではありません。
出雲大社を中心とする長い歴史の中で、千家家と北島家がそれぞれの形で出雲信仰を受け継いできた、と考えるとわかりやすいです。
北島国造館は出雲大社と別の場所?
北島国造館は、出雲大社のすぐ近くにあります。
出雲大社の八足門前から右手方向へ進むと、徒歩数分で北島国造館へ行くことができます。
出雲大社の参拝後に立ち寄りやすく、静かな庭園や滝、天満宮なども見どころです。
北島国造館の見どころ
四脚門
北島国造館の入口にある四脚門は、出雲大社神域で最も古い建造物として知られ、島根県指定有形文化財として紹介されています。
庭園と滝
北島国造館の庭園は、出雲大社のにぎわいから少し離れて、静かに心を整えられる場所です。

天満宮
北島国造館には、学芸の神である菅原道真公を祀る天満宮もあります。
白守
北島国造館の白いお守り「白守」は、清らかな印象の授与品として人気があります。
千家家と北島家を知ると、出雲大社参拝が深くなる
出雲大社は、ただ有名な縁結びの神社というだけではありません。
千家家と北島家の歴史を知ることで、出雲大社が長い時代の中で、どれほど大切に祭祀を守り続けてきた場所なのかが見えてきます。
また、出雲大社本体だけでなく、北島国造館にも立ち寄ることで、出雲信仰の広がりをより実感できます。
千家家と北島家の違いまとめ
| 比較項目 | 千家家(出雲大社教) | 北島家(出雲教) |
|---|---|---|
| 拠点 本部 |
神楽殿・おくにがえり会館 出雲大社教教務本庁(出雲大社境内) |
北島国造館 出雲大社北島国造館(出雲大社東隣) |
| 挙式の特徴 | 神楽殿の大注連縄が印象的な人気挙式 | 静かで格式高い庭園での挙式 |
| 教団 | 出雲大社教(いずもおおやしろきょう) 千家尊福(せんげ たかとみ)が、 1882年(明治15年)創立 |
出雲教(いずもきょう) 北島脩孝(きたじま ながのり)が、 1882年(明治15年)創立 |
| 地名の由来 | 斐川町併川「千家」 | 北山山系と菱根池周辺 |
| 主な利用者 | 全国からの参拝者・観光客 | 出雲に縁ある地元民 |
出雲大社では、かなりリーズナブルに結婚式をあげることができますよ!
詳細を下記にまとめましたので、ご参考まで。
👉 出雲大社で結婚式を挙げるには?神前挙式の魅力と費用を徹底解説
出雲大社と北島国造館を巡るおすすめルート
- 二の鳥居・勢溜から出雲大社へ入る
- 祓社で心身を整える
- 拝殿・八足門前で参拝する
- 御本殿まわりを右回りで巡る
- 神楽殿へ向かう
- 八足門前付近から北島国造館へ移動する
- 北島国造館の庭園・滝・天満宮を巡る
- 白守などの授与品を確認する
出雲大社だけでなく北島国造館まで巡ると、観光というより「出雲信仰をたどる旅」のような深みが出ます。
よくある質問
出雲大社の千家家と北島家は何ですか?
どちらも、出雲大社の祭祀を古くから担ってきた出雲国造家に関わる家系です。
なぜ千家家と北島家に分かれたのですか?
室町時代中期ごろ、後継者問題や宗教的・政治的な事情が重なり、2つの系統に分かれたと考えられています。
現在の出雲大社の宮司はどちらの家系ですか?
明治以降、出雲大社の宮司は千家家が務める形になりました。
北島家は現在どうなっていますか?
北島家は、出雲大社の東側にある北島国造館を拠点に、出雲教として出雲信仰を伝えています。
北島国造館は参拝できますか?
はい。出雲大社の参拝とあわせて訪れる方も多く、庭園や滝、天満宮、白守などが知られています。
まとめ|千家家と北島家は、出雲信仰を受け継ぐ2つの大切な系統
出雲大社が千家家と北島家に分かれた背景には、室町時代中期ごろの後継者問題や、当時の宗教的・政治的な事情があったと考えられています。
- 出雲大社の祭祀を担ってきた家系が出雲国造家
- 出雲国造家は千家家と北島家に分かれた
- 明治以降、出雲大社の宮司は千家家が務める形になった
- 北島家は北島国造館・出雲教として信仰を伝えている
- 両家はどちらも出雲信仰を理解するうえで大切な存在
出雲大社を訪れるときは、御本殿や神楽殿だけでなく、北島国造館にも足を運んでみてください。
千家家と北島家の歴史を知ることで、出雲大社の参拝がより深く、心に残るものになるはずです。