出雲大社には、宇迦橋の大鳥居・勢溜の大鳥居をはじめ、4つの鳥居があります。
それぞれの鳥居の由来や歴史、周辺情報についてまとめました。
出雲大社には4つの鳥居がある!
出雲大社には、「一の鳥居」から「四の鳥居」まで、4つの鳥居があります。
それぞれの鳥居では、2018年までは 素材に違いがありました。
- 一の鳥居 鉄筋コンクリート製(石の鳥居)
- 二の鳥居は、以前は「木の鳥居」でしたが、2018年に鋼材製(鉄の鳥居)に建て替え。
- 三の鳥居 鉄製(鉄の鳥居)
- 四の鳥居 青銅製(銅の鳥居)
ご参拝の際には、4つの鳥居もご確認してくださいませ!
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鳥居のくぐりかた
参道の真ん中は、神様が通る道なので両端を通るようにと、お聞きしますよね。
では、鳥居はどうなのでしょうか?
鳥居をくぐるときも参道と同じになり、鳥居の両端を通ることになります。
さらに、もう一つ。
鳥居の左端を通るときは、一礼して左足からくぐります。
右端を通るときは、一礼して右足からくぐります。
これは、鳥居の真ん中は神様が通るので、神様から遠い方の足からくぐるのが失礼にならないそうですよ。
一の鳥居(宇迦橋の大鳥居)
旧大社駅から北・出雲大社方面に進むと、ひと際大きな鳥居がみえます。
この鳥居は、出雲大社「一の鳥居」といい、宇迦橋(うが橋)の大鳥居ともいわれます。
1912年~1915年 出雲大社の南側は、次々に整備が進められ、
- 1912年 旧国鉄・大社駅(旧大社駅) 開業。
- 1914年 宇迦橋(うが橋) 整備。
- 1914年 新たな参道(神門通り) 整備。
- 1915年 一の鳥居(宇迦橋の鳥居) 建立。
この整備により、出雲大社への参拝客は大幅に増加し、3倍の5万人となりました。
鳥居の素材は、鉄筋コンクリート製、高さは23メールもあります(出雲大社・御本殿の高さは24m)。
また「一の鳥居」では、中央「出雲大社」と書かれた額は畳/6畳分の大きさ。
大正天皇(在位1912年~1926年)の即位をお祝いし、「一の鳥居」が建てられました。
宇迦橋(うが橋)を渡り 一の鳥居をくぐると、出雲大社 神門通りに入ります。
2013年 出雲大社の大遷宮(だいせんぐう)にあわせ、整備をされました。
電柱を地中に埋め込み、石材を敷き詰めた参道に生まれ変わりました。
当時、石材を敷き詰めた通りに変わりましたので、冬場の雪・雪道のときが心配でしたが、まったく心配なく大丈夫でした。
二の鳥居(勢溜の大鳥居)
出雲大社・二の鳥居は、勢溜(せいだまり)の大鳥居ともいわれます。
現在の「二の鳥居」は、2018年10月に「平成の大遷宮」の一環として建て替えを実施!
素材は、耐候性に優れた特別な鋼材(COR-TEN)で建てられた鳥居「鉄の鳥居」です。
以前の二の鳥居は「木の鳥居(1968年~2018年)」でしたが、老朽化と安全性などを考慮され建て替えとなりました。
そして、二の鳥居「勢溜の大鳥居」は、出雲大社・正門の役割も果たされています。
「二の鳥居」をくぐると、左右に広場があり「勢溜・せいだまり」といわれます。
勢溜の由来は、江戸時代では芝居小屋などが多数あり、人の勢いが溜まる場所として「勢溜」と呼ばれます。
そして、毎年10月に開催される、出雲大学駅伝(3大駅伝)のスタート地点でもあります!
(勢溜のうさぎ像)
二の鳥居「勢溜(せいだまり)の大鳥居」から神門通り、その先には 一の鳥居「宇迦橋(うが橋)の大鳥居」の姿がみえます!
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三の鳥居(松の参道の鳥居)
二の鳥居(勢溜の大鳥居)から下り参道・祓社(はらえのやしろ)をとおり、祓橋(はらえのはし)を渡ると、出雲大社・三の鳥居があります。
「三の鳥居」は、松の参道の鳥居ともいわれ、樹齢400年の美しい松並木が「四の鳥居」の近くまでつづきます。
鳥居の素材は鉄「鉄の鳥居」の鳥居です。
(四の鳥居から見た、松の参道です)
現在は「松の根の保護」のため、松の参道は、左右の道をすすむようになります。
多くの参拝客は、右側の松の参道から「四の鳥居」に向かわれる姿をみます。
そして、中央の参道は、その昔、皇族や貴族などの高貴な方だけが通ることが出来る道(松の参道)とされていました。
祓橋(はらえのはし)から見た、下り参道と、二の鳥居です。
四の鳥居(銅の鳥居)
出雲大社・拝殿の手前にある、最後の鳥居が「四の鳥居」です。
「四の鳥居」は、銅の鳥居とも呼ばれ、素材は青銅になります。
寛文六年・丙午・林鐘吉日
防長二州勅史
従四位下・行侍従兼大膳大夫大江綱廣朝臣
と刻まれています。
この銅の鳥居は、1666年(寛文6年) 長州藩2代藩主・毛利綱広から寄進されたものです。
大江家とは、毛利家の先祖の姓とのことです。
四の鳥居・銅の鳥居は、重要文化財に指定されてます。
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そして、銅の鳥居(右側)には、重要な内容が刻まれてます。
二行目に「素戔嗚尊者雲陽大社神也」とあります。
Wikipedia(祭神の変化)によると、平安時代前期までの祭神は「大国主神」であったこと。
その後、神仏習合の影響下で鰐淵寺は杵築大社(後の出雲大社)の神宮寺を兼ね、鰐淵寺を中心とした縁起では、出雲の国引き・国作りの神は「素戔嗚尊」とされていた。
そのことから、中世のある時期から17世紀頃までの祭神は「素戔嗚尊」であったため、1666年 毛利綱広が寄進した銅の鳥居(四の鳥居)に刻まれた銘文には「素戔嗚尊者雲陽大社神也」と記されたと考えること。
1667年 出雲国造家により神仏分離・廃仏毀釈を主張し寺社奉行に認められ、これに併せて祭神は「古事記」「日本書紀」などの記述に沿い「大国主大神」に復したとあります。
この銅の鳥居(四の鳥居)に刻まれた文字は、当時の時代を表した貴重な内容ですね。
出雲大社(いずも おおやしろ)
住所:島根県出雲市大社町杵築東195
電話番号:0853-53-3100
公式ホームページ:https://izumooyashiro.or.jp/