出雲大社の境内を歩いていると、四の鳥居(銅の鳥居)をくぐった左手に、ひときわ目を引く銅像を見かけます。
それは「馬と牛」の銅像。
この銅像がどうして出雲大社に祀られているのか、気になったことはありませんか?
今回は、地元大社町民の私が仲間と一緒にその歴史的背景や、なぜ「馬と牛」が出雲大社で大切にされているのかを調べました。
この記事を通じて、出雲大社への理解が深まることを願っています。
出雲大社の「馬と牛」の銅像とは?
出雲大社の境内にある「馬と牛」の銅像は、それぞれ「神馬(しんめ)」と「神牛(しんぎゅう)」として知られています。
- 神馬(しんめ):子宝や安産を祈願する象徴。
- 神牛(しんぎゅう):学問の向上や知識の発展を願う象徴。
この神馬と神牛、どちらも神聖な意味を持つ存在です。
しかし、出雲大社でこのような銅像が祀られていることには、さらに深い背景があります。
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出雲大社の神馬像の歴史と背景
出雲大社に奉納された神馬像の歴史は、1667年に遡ります。
この年、長州藩の二代藩主、毛利綱広公(もうり つなひろ)が、現在の重要文化財である「四の鳥居(銅の鳥居)」と共に寄進したのです。
その神馬像は、地元では愛称として「かねおまさん」とも呼ばれ、今でも多くの人々に親しまれています。
神馬像が「子宝・安産」の御神徳を授ける理由
神馬像が「子宝・安産」にご利益があるとされる理由は、その制作過程にまつわる逸話にあります。
神馬像を依頼したのは、京都の名工「名越弥七朗」。
実は、彼の妻が出産を控えていた時期に神馬像の制作が始まりました。
当時、出産は「穢れ」とされており、弥七朗は「神馬像が完成するまで、妻の出産が遅れるように」と毎日祈り続けていたそうです。
その祈りが叶い、神馬像が完成した後、無事に安産を迎えることができました。
この出来事から、神馬像は「子宝・安産」の神徳を授けるとして、今でも地元で信仰を集めています。
地元の人々は、神馬像の鼻の辺りを撫でると良い運気をもたらすと言われ、安産を祈願する方々が訪れます。
出雲大社の神牛像の歴史と背景
出雲大社の神牛像には、「学問の御利益」が授かると伝えられています。
そのご利益が特に強いとされるのは、学問の神として知られる菅原道真公と深い関係があるからです。
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菅原道真公と出雲大社の深い縁
道真公と出雲大社との関係は、道真公の父である菅原是善が、出雲の地で野見宿禰(のみのすくね)の墓参りをしていた時、地元の娘を寵愛したという逸話に基づいています。
この娘との間に道真公が生まれたという説もあり、道真公の生誕には出雲の土地が大きな影響を与えたと言われています。
そのため、出雲大社内には天満宮が祀られ、道真公が祀られているのです。
天満宮は、出雲大社の神楽殿や北島国造館に存在し、学問や学業成就を願う参拝者にとっては欠かせない場所となっています。
【紹介記事】出雲大社になぜ天満宮?学問の神様で知られる菅原道真公は出雲にもおられるの?
出雲大社の天満宮とは?
出雲大社の天満宮は、出雲大社の神楽殿の右手奥や、北島国造館の庭園内にあります。
特に、北島国造館は美しい庭園や滝で知られ、その静かな環境の中に「天満宮」がひっそりと佇んでいます。
この天満宮には、菅原道真公の像が祀られており、学問や受験生の必勝を祈るために多くの人々が訪れます。
天満宮(出雲大社・神楽殿)
出雲大社の神楽殿を右手からうしろにまわると「天満宮」がございます。
天満宮(出雲大社・北島国造館)
北島国造館の庭園内に「天満宮」がございます。
北島国造館は美しい庭園と滝で知られ、その一角に菅原道真公が祀られています。
【紹介記事】出雲大社・北島国造館「白いお守り」とは? 北島さんのお洒落なお守りはこちら!
まとめ
出雲大社の「馬と牛」の銅像は、単なる装飾ではなく、それぞれが深い歴史と信仰に基づいています。
神馬像は「子宝・安産」のご利益を、神牛像は「学問の御利益」を授けてくれるとされています。
どちらも古くから地元の人々に愛され、今なおその神聖な力を感じることができます。
出雲大社を訪れた際には、これらの銅像に込められた深い意味を思い出しながら、神聖な空気を感じてみてください。
また、菅原道真公を祀る天満宮も、学問や成功を願う場所として訪れる価値があります。
出雲大社での参拝が、皆さんにとってより意味深いものとなりますように。